日蓮大聖人 御聖訓


 御聖訓は、大日蓮出版の「日めくり」から転載させて頂いております。

このホームページをご覧の日付の御聖訓を拝読して下さい。


一日

法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかず(聞ず)みず(見ず)、冬の秋にかへれる事を。いまだきかず、法華経を信ずる人の凡夫となる事を。

妙一尼御前御消息 八三二頁


二日

日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給え。 仏の御意(みこころ)は法華経なり。 日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。

                          経王殿御返事 六八五頁


三日

仏の名を唱へ、経巻をよみ、華を散らし、香をひねるまでも、皆我が一念に収めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり。

一生成仏抄 四六頁


四日

 夫(それ)信心と申すは別にはこれなく候。妻のをとこ(夫)をおしむがが如く、をとこの妻に命をすつるが如く、親の子をすてざるが如く、子の母にはなれどざるが如くに、法華経・釈迦・多宝・十方の諸仏菩薩・諸天善神等に信を入れ奉て、南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを信心と申し候なり。

妙一尼御前御返事 一四六七頁


五日

 此の経をききうくる(聞受)人は多し。まことに聞き受くる如くに大難来たれども「臆持不忘(おくじふもう)」の人は希(まれ)なるなり。

受くるはやすく(易すく)、持つ(たもつ)はかたし(難し)。さる間成仏は持つにあり。此の経を持たん人は難に値ふ(あう)べしと心得て持つなり。

四条金吾殿御返事 七七五頁


六日

 されば持(たも)たるる法だに第一ならば、持つ人隋って第一なるべし。

持妙法華問答抄 二九八頁

今、末法に入りぬれば余経も法華経も栓(せん)なし。但(ただ)南無妙法蓮華経なるべし。

上野殿御返事 一二一級頁


七日

 未だ広宣流布せざる間は身命(しんみょう)を捨てて隋力弘通(ぐづう)を致すべき事。

日興遺誡置文 一八八四頁


八日

 総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此(じたひし)の心なく、水魚の思ひを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を、生死一大事の血脈とは云うなり。

生死一大事血脈抄 五一四頁


九日

総じて予が弟子等は我が如く正理を修行し給へ。 智者・学匠の身と為りても地獄に堕ちて何の詮か有るべき。 所詮時々念々に南無妙法蓮華経と唱ふべし。

十八円満抄 一五一九頁


十日

法華経の敵(かたき)を見ながら置いてせめずんば、師檀ともに無限地獄は疑いなかるべし。 (中略) 謗法(ほうぼう)を責めずして成仏を願はゞ、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。 はかなしはかなし。 何に(いかに)法華経を信じ給うとも、謗法あらば必ず地獄にを(堕)つべし。

曾谷殿御返事 一〇四〇頁


十一日

あひかまへて御信心を出だし此の御本尊に祈念せしめ給へ。 何事か成就せざるべき。 「充満其願(じゅうまんごがん)、如清涼池(にょしょうりょうち)」「現世安穏(げんせあんのん)、後生善処(ごしょうぜんしょ)」疑ひなからん。

経王殿御返事 六八五頁


十二日

有解無心(うげむしん)とて法門をば解り(さとり)て信心なき者は更に成仏すべからず。 有解無心とて解(げ)はなくとも信心あるものは成仏すべし。

新池御書 一四六一頁


十三日

仏教の四恩とは、一には父母の恩を報ぜよ、二には国主の恩を報ぜよ、三には一切衆生の恩を報ぜよ、四には三宝の恩を報ぜよ。

上野殿御消息 九二二頁


十四日

大地はさゝばはづるゝとも、虚空をつなぐ者はありとも、潮のみちひ(満ちひ)はありとも、日は西より出づるとも、法華経の行者の祈りのかなはぬ(叶なはぬ)事はあるべからず。

祈祷抄 六三〇頁


十五日

かつ(飢)へて食をねがひ、渇(かつ)して水をしたうがごとく、恋ひて人を見たきがごとく、病にくすりをたのむがごとく、みめ(形)かたち(容)よき人、べに(紅)しろいものをつくるがごとく、法華経には信心をいたさせ給え。さなくしては後悔あるべし

上野殿御返事 一三六一頁


十六日

弥(いよいよ)はげませ給ふべし、懈(おこた)ることなかれ。皆人の此の経を信じ始むる時は信心有る様に見え候が、中程は信心もよは(弱)く、僧をも恭敬(くぎょう)せず、供養をもなさず、自慢して悪見をなす。これ恐るべし、恐るべし、始めより終はりまで弥信心をいたすべし。

新池御書 一四五七頁


十七日

深く信心を発(お)こして、日夜朝暮(ちょうぼ)に又懈(おこた)らず磨くべし。何様(いかよう)にしてか磨くべき、只(ただ)南無妙法蓮華経と唱えたてまつるを、是(これ)をみがくとは云うなり。

一生成仏抄 四六頁


十八日

蔵(くら)の財(たから)よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり。此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給ふべし。

崇峻天皇御書 一一七三頁


十九日

謗(ぼう)と云ふは但(ただ)口を以て誹(そし)り、心を以て謗(そし)るのみ謗には非(あら)ず。 法華経流布(るふ)の国に生まれて、信ぜず行ぜざるも即ち謗なり。

戒体即身成仏義 一〇頁


二十日

昨日は人の上、今日は我が身の上なり。花さけば菓(このみ)なり、よめ(嫁)のしゅうとめ(姑)になる事候ぞ。 信心をこたらず(怠)して南無妙法蓮華経と唱へ給ふべし。

寂日房御書 一三九四頁


二十一日

末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱えがたき題目なり。日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふ(伝)なり。未来も又しかるべし。

諸法実相抄 六六六頁


二十二日

一切衆生、南無妙法蓮華経と唱ふるより外の遊楽なきなり。(中略)たゞ女房と酒うちのみて、南無妙法蓮華経ととなへ給へ。 苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思い合わせて、南無妙法蓮華経とうちとなへ(唱)ゐ(居)させ給え。

四条金吾殿御返事 九九一頁


二十三日

今の世は濁世なり、人の情もひがみゆがんで権教謗法のみ多ければ正法弘まりがたし。此の時は読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり。

只(ただ)折伏を行じて力あらば威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり。

聖愚問答抄 四〇三頁


二十四日

自身仏にならずしては父母をだにもすくいがたし。いわうや(況)他人をや。

盂蘭盆御書 一三七六頁

 

南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤(もっと)も大切なり。信心の厚薄によるべきなり。仏法の根本は信を以て源とす。

日女御前御返事 一三八八頁


二十五日

今末法は南無妙法蓮華経の七字を弘めて利生(りしょう)得益(とくやく)有るべき時なり。 されば此の題目には余事を交えば僻事(ひがごと)なるべし。 此の妙法の大曼荼羅を身に持ち心に念じ口に唱へ奉るべき時なり。

御講聞書 一八一八頁


二十六日

御宝前に母の骨を安置し、五体を地に投げ、合掌して両眼を開き、尊容を拝するに歓喜身に余り、心の苦しみ忽ち(たちまち)に息(や)む。

我が頭(こうべ)は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり。

忘持経事 九五七頁


二十七日

今の時、法華経を信ずる人あり。或(あるい)は火のごとく信ずる人もあり。或は水のごとく信ずる人もあり。聴聞する時はも(燃)へた(立)つばかりを(思)もへども、とを(遠)ざかりぬればす(捨)つる心あり。

水のごとくと申すはいつもたい(退)せず信ずるなり。

上野殿御返事 一二〇六頁


二十八日

法華経を余人のよみ(読)候は、口ばかりことば(言)ばかりはよめ(読)ども心はよま(読)まず、心はよめ(読)ども身によ(読)まず、

色心(しきしん)二法共にあそばされたるこそ貴く候へ。

土籠御書 四八三頁


二十九日

法華経の行者は信心に退転無く身に詐親(さしん)無く、一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥(たし)かに後生は申すに及ばず、今生(こんじょう)も息災延命にして勝劣の大果報を得、広宣流布の大願をも成就(じょうじゅ)すべきなり。

最蓮房御返事 六四二頁


三十日

心地観経に云はく「過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、其の現在の因を見よ」等云々。

開目抄 五七一頁


三十一日

我並びに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば、自然(じねん)に仏界にいたるべし。 天の加護なき事を疑はざれ。現世(げんぜ)の安穏ならざる事をなげかざれ。我が弟子に朝夕教へしかども、疑ひををこして皆すてけん。つた(拙)なき者のならひは、約束せし事をまことの時はわするゝなるべし。

開目抄 五七四頁